そろそろ主役を降りたら?ベービー・ブーマー
いまアメリカが大きく変わっています。
最近、よく目にするようになったコメントは:
「Move over Baby Boomers, your time is over!(邪魔なんだよ、あんたたち、ベービー・ブーマーさん達よ。)」
というものです。
日本からアメリカを眺めていると最近のアメリカで起こっている事は「アメリカの覇権の凋落だ」という風に映るかもしれません。この場合、気をつけないといけないのは日本人が意見交換するアメリカ人は今の米国の政治や実業界で実権を握っているシニアな人達が多いという点です。この人達はいま若い層からの「突き上げ」に遭っています。だから凋落しているのはアメリカそのものではなくて、今まで「持てる者」として君臨してきた「金持ち父さん」層なのです。
この状況は喩えて言えば1960年代の『いちご白書』や『サマー・オブ・ラブ』に匹敵するような世代間の巨大な地殻変動(upheaval)だと形容できるかも知れません。つまり若いムーブメントが、慢心して、怠惰で、既得権益にしがみついている中年ブーマーたちを内側から喰い潰しにかかっている、、、そういう構図なのです。
では「具体的に何処にそのupheavalの証拠があるのだ?」と皆さん思うでしょうね。
そのひとつの例が民主党の大統領予備選挙です。皆さんもご承知のようにバラク・オバマ候補がいまとても勢いをつけはじめています。アメリカではヒラリー・クリントン候補は「ポリティシャン1.0」、バラク・オバマ候補は「ポリティシャン2.0」などと形容され、オバマ候補の新人類ぶりが若者や教養の高い層を中心に熱烈に支持されています。その一方でヒラリー・クリントン候補はベービー・ブーマー世代の既得権益の擁護者とみなされており、支持層を拡大できていません。
こうした違いは例えば両候補の支持者の選挙活動の展開方法にも如実に現れています。オバマ候補を支持するミュージシャンや俳優たちはオバマ候補の演説をリミックスしたミュージック・ビデオを作って支持を表明しています。これをYoutubeでガンガン流されたら、どんなにテレビ広告のスポットを流しても焼け石に水でしょうね。
これまで政治に余り関心の無かった若者が大挙して投票所に押しかけ、投票用紙が足らなくなって投票時間を延長するという州が続出していることからもこのムーブメントが尋常でないことを示唆していると思うのです。
オバマ候補に批判的な人は「彼は聞き手を高揚させるようなメッセージだけを繰り返し、具体的な実績や経歴や政策の話には全然入って行かない」ことを指摘しています。その意味でオバマ候補の演説は主に聞き手の情緒に訴えるものであると言えるでしょう。
それでは何故オバマ候補のそういう掴みどころの無い、ムード重視の演説がこれほどまでにウケるのか?、、、
これは実は結構、根の深い問題だと僕は思うのです。
先ず第一に我々の生きる現代という社会はとても複雑だし、いろいろな利害が交錯しています。すると或るひとつの「正解」というものを提示しようと一生懸命努力してもどうしても一部の人間の気に入らない、或いは彼らを疎外してしまうような政策なり意見にならざるを得ないという事です。情報ひとつを例にとっても今はインターネットがあるので情報の収集のコストはガクンと下がっています。その分、相反するさまざまな情報がワンサと集まってしまって、それを咀嚼するちからの方が情報を丹念に集めるちからより重要になってくるわけです。すると全体を俯瞰して、大掴みに形勢を判断できる人間の方がコツコツ情報を集めて加工する人間より重宝されるようになるわけです。
別の言い方をすればそれは「知的労働者(ナリッジ・ワーカー)の時代」が曲がり角に差し掛かっていることを意味すると思うのです。もっと言えば1980年頃に日本がアメリカにどんどん鉄鋼を輸出したおかげで、クリーブランドとかベツレヘムの米国の製鉄所の従業員がどんどんレイオフされた、あの光景が今、弁護士や会計士や銀行マンやITスペシャリストなどの米国の知的労働者へも波及しているということです。これはナリッジ・ワーカーのコモディタイゼーションを意味します。そしてそういう仕事は海底ケーブルを通じて今、どんどんバンガロールに転出してしまっているのです。
日本の皆さんは多分知らないと思いますけど、つい先日までハリウッドの脚本家組合はストライキを敢行していました。『デスパレット・ハウスワイフ』などのテレビ・ドラマを制作している、創造的な仕事をしている筈の人達ですら、自動車工場の工員さんや鉄鋼メーカーの作業員さんと同じノリでピケを張っている光景、、、これには僕も深く考えさせられました。
その流れで言えば、例えば日本で今話題になっている「ハケン」さんですか?、これなんかもホワイトカラーの仕事のコモディタイゼーションのひとつの証のような気がするわけです。
こうしたコモディタイゼーションの流れに抗する、ひとつのやり方が、『金持ち父さん』のロバート・キヨサキの提唱した、「オーナーになる」という生き方です。つまり社員になるのではなく株主になれ、テナントになるのではなく、大家さんになれ、、、そういうビジネスのオーナーシップを通じて蓄財を実現してゆく生き方ですね。
しかしこの方法には根本的に間違っている点があります。それは「そうすれば皆がリッチになれる」というのは幻想に過ぎず、実際には「デマンド・カーヴの前半部分で乗った人=前期ベービー・ブーマー」は後から来る人が相場を押し上げてくれるのでそうやって蓄財出来るけど、後から来て高値を買わされる後期ベービー・ブーマーならびにベービー・バスト世代はこの方法ではリッチになれないという問題です。
最近、アメリカで起こっているサブプライム問題も、見方によってはこの「誰もがリッチに」という幻想を極限まで延長戦に持ち込もうとした咎めが出て、おかしなことになってしまったとも言えるわけです。
ナリッジ・ワーカーがどんどん「ただの労働者」に成り下がってゆく過程で、それではどんな人間が上に行けるのでしょうか?。
ダニエル・ピンクはこれからの時代はそういう雑多な情報をテキパキ加工、咀嚼した上で皆にわかりやすい形で再提示できるような人間がこれからは大事になるという意味のことを主張しています。そしてデザインとかストーリーとか同情するこころとか、そういう物が今後どんどん大切になってゆくと言っています。
そう考えてみれば、例えばアップルのスティーブ・ジョブスなんかはデザインやエモーショナルな商品を作ることにこだわっているし、前の日本の小泉首相なんかもわかりやすいひとこと(quip)で国民を納得させちゃうワザでは抜群でした。その意味では彼も「新人類」だったのかも知れない、、、。
ジョブスやオバマや小泉前首相などに共通する点はいずれも極めて優秀なオーレーター(話し手=表現者)であるという点ではないでしょうか?。
聞き手と瞬時にこころがつながる、、、そういう能力が今の時代はとても要求されている気がします。
これは何もスピーチに限らず、あらゆる生活の場面で既に起こり始めていることです。YoutubeなどのWeb2.0のツールはそういう表現者の時代にターボ・チャージをかける道具であるという風にも考えられると思うのです。
われわれがどんなに頑張っても例えば三桁×三桁の暗算が出来るインド人とかには勝てないと思うんです。
教育学のサー・ケン・ロビンソンが言うようにこれからの時代、「リテラシーも大事だけど、それよりクリエイティビティーの方が大事になる」という意味が最近、ようやくわかりはじめた気がします。
Friday, February 15, 2008
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